ここ一、二年の私の密かな楽しみに、ひとりでスシローに行くことがある。
家族ではめったに外食に行かないし、行っても子供がお冷をひっくり返すわ、ご飯粒をまき散らすわで、まともに味を楽しむどころじゃない。
月に一度仕事で銀行に行く用事があり、その帰りに、必ず近くのスシローに立ち寄ることにしているのだ。
今ではその銀行の看板を町で見かけるだけで、口の中に唾液が広がって困るくらいだ。
今月もまた、その日がやってきた。
今月もまた、その日がやってきた。
私は食べたいものを、インターフォンで注文することは決してない。「お店」とはそもそも商品との偶然の出会いこそが醍醐味であるのに、なぜお店で通販をするのか?またインターフォンに向かって自分の食べたいものを叫ぶ、その姿もそこはかとなく滑稽ではないか。
そんなに気にすることじゃなかろう、と思われるかもしれないが、肉体からの欲求に対し、真剣に向き合いポリシーを持って、自分のスタイルを築いていくことことが、「生きる」ことに対し誠実であること、大げさに言ってしまえば「生命に対する尊厳」といえるのではないか。
というわけで、私は寿司をほおばり、脳みそがとろけそうになりながらも、常にその表情は真剣そのものだ。一回の食事で食べるのは10~13皿。それ以上食うと午後の仕事に支障をきたす。
皿をどのように選択し、ゲームを構築していくかを熟考する様はワールドカップの日本代表チームの監督のごとく、彼方から迫ってくる皿を見逃すのか、選択するのか、その判断はバッターボックスに立つスラッガーの如き心境なのだ。
目を三角にしながら、流れゆく皿をみつめているうち、ふと昔読んだある本を思い出した。
そんなに気にすることじゃなかろう、と思われるかもしれないが、肉体からの欲求に対し、真剣に向き合いポリシーを持って、自分のスタイルを築いていくことことが、「生きる」ことに対し誠実であること、大げさに言ってしまえば「生命に対する尊厳」といえるのではないか。
というわけで、私は寿司をほおばり、脳みそがとろけそうになりながらも、常にその表情は真剣そのものだ。一回の食事で食べるのは10~13皿。それ以上食うと午後の仕事に支障をきたす。
皿をどのように選択し、ゲームを構築していくかを熟考する様はワールドカップの日本代表チームの監督のごとく、彼方から迫ってくる皿を見逃すのか、選択するのか、その判断はバッターボックスに立つスラッガーの如き心境なのだ。
目を三角にしながら、流れゆく皿をみつめているうち、ふと昔読んだある本を思い出した。
芥川龍之介の短編に、もう一人の自分に出会う話がある。最初、駅のプラットフォームの向こう側にもう一人の自分を発見し、びっくりし混乱しながら、帰宅し書斎に入ると、もう一人の自分が日記を盗み読んでいて、ニヤニヤしているところで目が合う、というものだった。読んでいてゾッとした。
皿が彼方から流れてくる。お、トロサーモンあぶり焼きか、よしGOだ!ゴトゴト・・・あ、(だれかが取っちまった)。まあいい、ゴトゴト(無言)あ、ミートボール軍艦だ、よしこれ行こう、ゴトゴト・・・あれれ、(また、やられた)畜生、自分のゲームが出来やしないじゃないか。ゴトゴト・・・う、生ハムね、いいでしょういいでしょう、ゴトゴト、りゃりゃ、また消えた!ふざけんな、くそこうなったら暴力沙汰だ。いや、いかん店員に抗議しよう。つまみ出せ!・・・ゴトゴトゴト・・・
ここで、お茶を飲んで、いったん頭を冷やす。腕力に訴えるのも審判に抗議するのも、上策とはいえまい。アウェイっていうのか。ここは我を折って、インターフォンで注文しよう。君子、豹変す、だ。変節も時に必要なのだ。
ビー
「ご注文、お願いします」
「えーっと、チャーシューネギまみれ、ひとつ」
ゴトゴトゴト・・・来た来た、これでゲームの流れが変わるはず、ふう。
が、ここでなぜか誰かがこの皿を取ってしまう。ついにブチぎれ席を立ち、そいつをみつけると同時に、そいつもくるりとこちらを向く。それが、チャーシューネギまみれを頬張りにやりと笑う、もう一人の自分。